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#01:外科医15年目、そして、片柳先生へ

 この文章は、平成10年7月発行の友愛記念病院誌に書いたものです。この年の8月1日付けで外科の部長に昇進しましたので、この原稿を書いた時はまだ平の外科医でした。
 この年の病院誌(年報)は、平成9年12月27日急逝された片柳前々院長への追悼号となりました。

外科医15年目、そして、片柳先生へ

          外科 加藤奨一

 毎年記念誌に「“外科医10年”から○年」という題で書いてきましたが、今年からは表題のごとく“外科医○年目”という題に改めて書くことにしました(毎年題名を考えなくて済むので)。私は1984年3月に大学を卒業したので、今年の4月から外科医として15年目を迎えます。
 さて、約4年前の7月から当院で働いていますので、片柳先生と一緒に仕事をした期間は、昨年11月4日くも膜下出血で倒れられるまでの約3年4ヶ月でした。鹿野先生や山本先生に比べれば、片柳先生と過ごした期間ははるかに短く、あっという間でしたが、今となっては片柳先生の“最後の弟子”となりました。
 3年4ヶ月という期間は短くもありますが、私としては、外科医として一人立ちをし、また、後輩を指導する立場になる時期に、手術を中心に膨大な量の教えを受ける機会に恵まれたことを、幸運に思っています。
 まだローテーターとして就職を決めていなかった頃、手術中に片柳先生は“そういうハサミの使い方だと、先生が教授になって誰か手術の見学に来た時みっともないから直した方がいいよ”などと、新たに手術手技の基本から懇切丁寧に教えてくれました。普通なら、私ぐらいの年になると、もう周りからは何も言ってもらえなくなるので、非常に有り難いと思っていました。
 片柳先生は“一流の外科医”という言葉が好きで、ここに私が赴任当時、まだ“二流の下”と言われていたのが、“二流の中”“二流の上”へと昇格し、倒れられる直前、そろそろ“一流の下”の仲間入り出来そうだ、などとおっしゃっていました。さらに頑張ろうという矢先の出来事で、残された私は、これから自分の力で“一流の外科医”にならなければいけなくなりました。
 今もよく覚えていますが、片柳先生が倒れられた翌日もいつもの水曜日同様たくさんの手術が予定されており、私も手術をしていました。いつも、何かの時は相談できる片柳先生の姿が手術室になく、手術をしていても、寂しく、なんとなくいつもの調子が出ませんでした。なにか我々の心に大きな穴がポッカリと空いたような感じでした。
 その後も幸いなことに、手術症例はコンスタントにあり、私も誰に頼ることなく、自分の力で、考え悩みながら、手術を遂行する立場になりました。片柳先生が、“もう教えるべきことは全部教えたから、あとは自分の力で全部やってみなさい”と、私の外科医としての更なる成長のための場を作り、励ましてくれていると、自分には言い聞かせています。
 自分だけがそう思って自惚れているのかもしれませんが、片柳先生は本当によく私のことをかわいがってくれてたように思います。感謝しています。外科医として、医者として、人間として、片柳先生に少しでも近づけるよう、できれば、追い越せるよう精進し、恩返しをしたいと思います。
 さて、少し話は変わりますが、片柳先生がなくなられてから、手術適応や術式に関しては外科の中で私が最もアグレッシブになったような気がします。“少しでも可能性があれば、とってとってとりまくって、なんとか超進行癌でも治したい”という情熱が、片柳先生がなくなられてから、非常に強くなりました。片柳先生も若い時はかなり激しい郭清をされていたようですが、その経験からか、私が知っている先生は“バランス”を強調され、中庸的な郭清をされていたように思います。しかし、まだ若い私に“そのくらいであきらめるな。まだまだ、手術の適応はあるぞ”と片柳先生が囁いているような気がして仕方がありません。世の中では最近QOLの向上と縮小手術が流行で、ともすると明らかに癌を残しても、術後経過が順調な方がよいような風潮で、根っからの外科医の私としては、少し寂しい感じがしています。
 まだ、当院において自分で手術した進行癌では、3年生存例が散見されるだけですが、できれば、まだまだ、徹底的に切除して、誰もが不可能とあきらめている領域まで踏み込んでいきたいと思っています。そして、超進行癌や再発例でも手術によって、もちろん、QOLの向上した状態で、治癒切除できる症例を1例でも増やしていきたいと思います。ある意味では“外科医のロマン”かもしれないと思っています。あと5年や10年は、やりすぎではないか、と周りから止められるようなアグレッシブな外科医としてやっていきたいと思っています。その結果、限界を実感したら、縮小手術に走るかもしれませんが、まだ、ギリギリの拡大手術の経験は浅く、今でも、術後合併症を恐れるあまり、根治性を犠牲にしてまで、手控えてしまうことも多く、チャレンジ精神が足らないな、と反省しています。正直な話、“もっとやればよかった”と後悔することはあっても、“やりすぎた”と後悔することの方がはるかに少ないのですから、簡単に撤退しないように自分を戒めたいと思います。
 片柳先生、どうか私が一流の外科医になれるかどうか、天国で見守っていてください。
 短い間ではありましたが、外科医としてたくさんのことを学ばせていただいて、どうもありがとうございました。
 ご冥福をお祈りいたします。
(平成10年7月発行の友愛記念病院誌の原稿)

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