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#26:福島県立大野病院事件

 この文章は平成20年10月に発行された病院広報誌16号に書いた文章です。

福島県立大野病院事件

          院長 加藤奨一

 2004年12月17日福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた産婦が死亡したことに対して、手術を執刀した産婦人科医が「業務上過失致死罪」と「異状死」の届出義務違反の疑いで2006年2月18日福島県警に逮捕され、翌月に起訴されました。度重なる公判の末、2008年8月20日福島地方裁判所はこの医師に無罪の判決を下し、検察は控訴を断念しました。

 この産婦人科医逮捕の報道に対して当初より医療界から大きなブーイングがあり、日本産婦人科学会のみならず多くの医学系学会から警察と検察に抗議表明がなされました。これほど多くの抗議が医療界からされたのは歴史上初めてのことだと思います。

 事件のあらましは以下の如くです。産婦は「前置胎盤」である事が術前から判明していました。新生児を娩出後「癒着胎盤」であることも判明、胎盤を剥離している最中に多量の出血が起こり、子宮を温存することをあきらめて途中から子宮摘出に切り替えましたが、輸血が間に合わず、子宮摘出直後に妊婦が死亡したというものです。新生児は助かりました。「ひとり産婦人科医」で年中無休、年間200例くらいの分娩をひとりで扱っている、非常に評判のいい産婦人科医でした。

 産婦人科医は病院長に報告し、通常の病死であり「異状死」には当たらないとの判断で、警察への届出は行いませんでした。

 「医療」というものは本質的に「結果」の完全な予測が不可能な営みです。宿命的にこうした性格を持っている医療行為について「結果が予見出来たにもかかわらずそれを回避しなかったことは罪である」として「業務上過失致死(傷害)罪」を適応することはナンセンスであり、こうしたことがまかり通るならば、出産を初めとするリスクを伴う医療行為を引き受ける者はいなくなるとの批判が以前から医療界にはありました。

 この事件をきっかけに、もともと減少していた産科医がさらに減少し、日本全国で産科を取りやめる医療機関が続出、現在の「お産難民」という事態を招いたとされています。また、昼夜を問わず地域医療に貢献している医師達も「“結果”が悪いときに刑事訴追されるなら、助かる可能性があっても、リスクを伴う患者には最初から何も医療行為はしない方がいい」という「萎縮医療」が蔓延するという危機感が高まりました。「これでは勤務医はやっていられない。」と全国で病院勤務医が続々と離職し、診療科閉鎖や病院閉鎖が頻発、「医療崩壊」に拍車がかかった一因とも位置づけられています。

 診療に伴って起こった予期せぬ死亡も、犯罪に巻き込まれて死亡した可能性のある「異状死」と同等に扱われ、警察に届けなければならない、という制度が数年前から始まりましたが、警察には医療事故の本当の原因究明が可能なだけの医療に関する知識はなく、医療に警察が介入することには以前から反対がありました。こうした医療界の主張に伴い、数年前から医師、法律家、学識経験者等で構成する第三者調査機関(「医療事故調査委員会」(仮称))を全国的に作って、医療事故の原因究明と再発防止を専門的に行おうという動きがありましたが、この事件を契機に一気に準備が進んでいます。

 ただ、医師側と法律家側、患者側との間には制度をめぐって多くの論争がまだあります。「医療行為全てを“業務上過失致死(傷害)罪”からははずすべき。」との強硬な意見も出ています。また、医療事故の原因分析と再発防止が目的であるのならば、委員会での調査結果を警察や検察に情報提供することや裁判に利用することは禁ずるべき、との意見もあります。裁判絡みになれば、「自分に不利な発言はしなくてもよい」という基本的権利が行使されるので、真実が語られなくなり、本当の原因究明が出来なくなる、との理論です。ペナルティーなしという原則がないと、真実は明らかにならないということです。

 「医療事故調査委員会」設立の今後の動向にぜひ注目したいものです。

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