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#23:医療費抑制策と医療訴訟よ、さらば!

 この文章は平成19年10月に古河市医師会報に書いた文章です。その翌年には茨城県医師会誌にも掲載されました。

医療費抑制策と医療訴訟よ、さらば!

          院長 加藤奨一

 昨年度私は病院広報誌や病院ホームページの「オピニオン」を通じて、勤務医不足の問題、長年続いている医療費抑制策が引き起こしている数々の弊害、医療訴訟や医療従事者に対するクレームの増加がもたらした医療従事者のモチベーションの低下や医師の病院からの“逃散”の問題、等について何度も書いてきましたが、虎ノ門病院の小松秀樹医師が書かれた「医療崩壊」という本がベストセラーになったのも昨年でした。「医療崩壊」という言葉がメディアを通じて一般の方々にも知れ渡るようになり、日本中で病院の病棟閉鎖、診療科閉鎖、救急指定返上、さらには廃院までも頻発した1年でした。まだほんの“序章”の段階ですが、日本でもついに「医療崩壊」が始まりました。こうした状況がこれからもどんどん進んでいき、多くの患者さんが本当に“犠牲者”となる日もそう遠くはないと思います。

 日本の医療機関は、ここ数年ずっと続いている「医療費抑制策」により「患者側からの医療に対する質と安全に対する要求が年々大きくなる中、それに応えるためのコストは年々削減される」という、相矛盾した要求に応えることを求められています。日本の医療費は国際的に見たら非常に低額であり、ある医師は、大衆食堂で「一流ホテル並みのサービスをしろ。フランス料理のフルコースを出せ。」と要求されているようなものだと喩えています。

 こうした状況に耐えられない勤務医は病院を辞め、また、勤務医に去られた病院は廃院に追い込まれ、以前10,000以上あった日本の病院は昨年度ついに9,000を切りました。さらに、2012年には、療養病床38万床の中の23万床が削減されようとしています。「介護難民」だけでなく「医療難民」が多数出現することが予想されます。そして、こうした医療現場で疲弊した勤務医達は、「もう頑張れない。限界だ。」と、病院から“逃散”を続けています。

 1999年に相次いで起こった、横浜市立大学医学部附属病院での手術患者取り違え事故と、都立広尾病院での点滴に消毒剤を誤入し患者が死亡した事故以来、マスコミ、国民の「医療ミス」に対する関心が急激に高まり、医療事故と医療訴訟の記事が連日新聞紙上を賑わすようになりました。「医療バッシング」全盛時代の到来です。本来殺人事件等の事件性の有無を問うためのものであった「異状死」が、通常の診療に伴って起きた予想外の死亡にまで拡大解釈され、こうした場合も警察に届けなければならないという、世界でも類を見ない、驚愕の制度がその後始まりました。医療事故に警察が介入する国は他にはないそうです。日本は、奉仕の精神を持って骨身を削って診療に当たった医師でさえ刑事事件の被告人になり得る国になったのです。

 最近では、どんな病気、どんな病態でも、病院にかかれば治って当然、結果が悪い時は、病気が重いのではなく、何らかの「医療ミス」のためだ、とクレームをつけられることも多くなりました。医療従事者は、患者や家族から理不尽な「攻撃」を受けていると感じています。こうした状況では、こうした状況を作り出した政治家、官僚、マスコミに対して医療従事者が“敵意”を抱くだけでなく、本来“パートナーシップ”で結ばれ一緒に病に立ち向かうべき患者サイドに対してまで“敵対心”を抱いてしいます。「寝食を忘れて患者さんに奉仕しても“犯罪人”にされるかもしれないような仕事には就きたくない。」と、産婦人科、小児科だけでなく、脳神経外科、外科、内科などの命に関わる診療科が若い医師から嫌われ、なり手がなくなった原因です。

 医師不足は今に始まったものではありません。国際的には各国の医療政策が医師を増やしていく方向であったことを無視して、「医師が増えると医療費が増える」と、医師増員策を長年日本の行政が避けてきた結果です。人口あたりの医師数が最も多い東京でさえ、OECD加盟国の平均より下回っています。診療科や地域による医師の「偏在」が問題だ、というのは単なる行政側の“言い逃れ”であり、諸外国との比較でも、日本には医師の絶対数が足りません。

 2008年度には2年毎に行われる診療報酬改訂が予定されており、こうした「医療崩壊」が進行する中にありながら、さらなる「医療費抑制策」を厚生労働省は断行すると新聞報道されています。新聞紙上では「医療費適正化」と書かれており、まるで医療機関や医療従事者が医療費を“無駄遣い”しているような印象を与えています。“医療費適正化=医療費抑制”であり、すでに極限まで削られた医療費では“医療費抑制策=医療の質の低下策、医療の量の削減策”であることを国民は知らされていません。最近では医療現場において「経済的な制約から、必要な医療までもできなくなっている」傾向がありますが、こうした傾向はさらに強まっていくと考えられます。こうした弊害を生んだ責任の所在が政治や行政にあることをマスコミは報道しません。そのため、国民は全て個々の医療機関が悪いことをしている結果であると勘違いしています。

 少子高齢化、核家族化した現代の日本においては、自宅で家族の看病をすることは人手の点で大変な困難を伴います。しかし、入院治療では医療費がたくさんかかるため、医療費を抑制したいだけの厚生労働省は、数年前から医療費が安くて済む「在宅」に医療を誘導しようと大号令をかけています。

 また、最近では、「病院勤務医が多忙なのは“楽して儲かる”開業医のせい」のようなことを言い、夜間・休日診療を含め開業医に勤務医の負担を肩代わりさせよう、開業医の収入を減らすように政策誘導し、勤務医が新規開業したがらず病院勤務医を続けるようにしよう、という方針を盛んに喧伝しています。

 開業医の先生方だって決して暇で高収入なわけではないと思います。勤務医が多忙で疲弊しきってしまったのは、日本に医師全体の数が足りないからです。

 これから進んでいく高齢化社会に対応するためにも、医師を含めた医療従事者をさらに増やすことが必要です。ただでさえ国際的に低い医療従事者の給与を減らせば、日本で医療に就く人はいなくなっていくでしょうから、医療の担い手を増やすためには、国民総医療費も増やしていくことが必要になります。政治家や官僚が国民の命と健康を本当に大切に思っているのなら、他の分野の予算を削ってでも、国民総医療費を増やす方向に政策を転換しなければいけません。そうしなければ、今進行している日本の「医療崩壊」を止めることはできません。

 イギリスはサッチャー政権時「医療費抑制策」を長年行い、医療が崩壊しました。医療従事者が頑張ることをやめてしまったのです。ブレア政権になり、国民総医療費を5年かけて50%増やしましたが、一度失われた医療従事者のモチベーションは簡単には回復しません。今も医療崩壊から脱せずにいます。今の日本は、この期に及んで「登録医」制度を真似しようなどと、イギリスのこの悪い前例に向かってまっしぐらに進んでいます。

 こうした厳しい社会状況の中でも、友愛記念病院はなんとか「真に患者のための医療」を提供しようと、平成18年2月に移転・新築して新病院を開院し、職員一丸となって日々頑張っています。

 「医療費抑制策と医療訴訟よ、さらば!」という日が一日も早く訪れることを願ってやみません。

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